こんにちは。パーソナル美容師の岡田です。
ブログであまり暗い話はしたくはないのだけれども、昨日、婆ちゃんが死んだ。
去年、母方のばあちゃんが亡くなったけど、父方のばあちゃんも亡くなった。2月20日。
僕にとっては悲しいことに変わりはないのだけれども、ちょっと思うことがあるので書いてみる。僕は昨日の今日だけれども、別に悲しみに暮れているわけではないので、重い気持ちになっているだけじゃないんですよね。
人は生まれたら絶対に死ぬ
そう、僕にとって家族の死というのは、とても大きな出来事だけど、人間にとっては必ず迎える最後の姿でもあるわけで。
前回、母方のばあちゃんが亡くなった時には最後に看取ることが出来なかったけど、今回は最後に息を引き取るまで看取ることが出来た。というか、家族が到着するまで命をつないでくれた。頑張ってくれた。
だから、亡くなったことは悲しいことに変わりはないけれど、最後の瞬間に家族で立ち会えたことというのは、遺族の僕たち家族にとってもそうだけど、亡くなったばあちゃんにとっても幸せな最後だったんだと思うんだ。
人は生まれたら絶対に死ぬ。これまで誰一人例外のない絶対的なものだから。
この前のブログでも書いたけど、僕には死んだばあちゃんが繋いでくれた人生のバトンがある。今思うことはたくさんあるけれども、ばあちゃんにはまずそれを感謝したい。
この記事では「人生は第二走者」だと書いたけど、先祖代々続いているそのバトンを僕は受け継いでいる。
今回のばあちゃんが死んだことに、自分がどんな意味を受け取るのか、どう考えて、どう捉えるのか。それはその人次第で変わるものだと思う。
去年、母方のばあちゃんが 亡くなった時にはこんなブログを書いていた。
このブログで書いた通りに、僕はこれからも自分が大切にしたいものを大切にする。
そうして自分が選んだことで、今回は最後の瞬間に立ち会えることが出来た。これから執り行われる通夜や告別式にももちろん自分がやることはたくさんある。
仕事を休んで、お客様を断って、この選択をすることがいいのかどうかは「美容師として」ではなく、「岡田彰大」という一人の人間としての話。
美容師の美談はよそでやってもらうとして、僕はいつだってこれからも自分で選んで「今」を生きていくんだよ。
三歩下がってついていく女性
死んだばあちゃんの話を少しすると、
じいちゃんの後ろを三歩下がってついていくような人だった。
「男は働き女は家庭を守る」というのが当たり前だった戦後の時代の、まさにその言葉通りの人だった。
男(じいちゃん)を立て、男を支え、そして男から大切に守られる女性だった。
じいちゃんが亡くなってからも、献身的で控えめな性格は変わらなかった。
だから、僕は子供の頃も、大人になってからも、ばあちゃんに怒られたことはなかった。僕だけではなく、兄弟全員が口を揃えて同じことを言った。(その代わりじいちゃんは派手な人でこっぴどく叱られた)
だからというわけではないけど、僕はそんなばあちゃんが好きだった。
ばあちゃんを思い出す時に思い浮かぶのは、その優しい笑顔で。
だから、僕はばあちゃんが死んだからって悲しみに暮れるわけではなくて、
ばあちゃんが僕たちに残してくれた思い出とともに、僕はこれからも胸を張って生きていく。
僕はそれが故人にとって唯一できる恩返しなんじゃないかなと思うんだよな。上を向いて歩くんだよ。
なんだかよくわからなくなっちゃったけど、日記というか備忘録として残しておこうと思います。
いつか思い出せるように。
それでは。
岡田 彰大


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