「髪を切るということは、新しい人生を作ること。」
女性にとっての大事な髪を扱うということは、扱う側にもそれ相応の責任があるということです。
沢山の方に支えられながら、おかげさまで僕は美容師になってから12年間経ちますが、お客様の髪に携わらせていただいて、自分が作るヘアスタイルに満足したことは一度もありません。
誤解を生んでしまうといけないので、もう少しだけ言葉を付け加えておきます。
もちろん、切る時には自分が持てる最大限の力で切らせていただいており、その日の100%の力を振り絞って髪を担当させていただきますが、それでも満足とはまた違うんですよね。
「じゃあ満足できるように練習しろよ」と思われるかもしれませんが、練習して技術が向上したからって100%満足できるヘアスタイルが作れるわけというわけでもなく、僕の感じていることはそういう意味合いでもない。
それは、世の中も人も常に変化していて、その中で輝くヘアスタイルというものは「刹那的な美」でもあると感じているからです。
髪には思いが宿り、思いは形を変える。
例えば、「髪を切る」ということに関しても、「髪を染める」ことに関しても、施術として見れば単純な作業かもしれないけれど、その背景には人のいろんな「思い」があります。
それは、髪を切られるお客様自身の思いでもあり、切る側の美容師の思いでもあり、人のいろんな思いを切り取ってヘアスタイルは出来上がります。
「失恋したから髪を切る」ということも、髪に思いが宿るからこそ、沢山の思いが詰まった髪を切ることで「思いを断ち切る」ということで断髪が一役かっているのかもしれません。
力士の方が引退した時に髷を切るのも、昔から髪を切ることにはそういう役割があるのかもしれませんね。
そうして切ったヘアスタイルも、そのまま形を留めておけるものでもなく、髪は伸びるし施したカラーも落ちるもの。
たとえ髪が伸びなくても、カラーが落ちなくとも、世の中の流行も変われば人の気分も変わるものです。気持ちが変わるからこそ、それが普遍的なものでないからこそ、その思いに寄り添ったヘアスタイルというものは変化し続けるものであると僕は思います。
椎名林檎さんの「ギブス」という歌の中に
「写真になっちゃえば私が古くなるじゃない」
というセリフがありますが、それと同じことかもしれません。常に女性が今が一番美しくありたいと思っているならば、ヘアスタイルを担当する限りはそれに責任を持たなければ。
もちろん、普遍的な美しさを放つヘアスタイルはありますが、アーティストというよりかはサロンワークで人を美しくする美容師として、変わり続ける時代や人の思いの中で、僕は常にその人にとっての「今」一番の美しさを求めていたいなと思います。
明日つくるヘアスタイルが一番素晴らしい
そんな中に美容師として生きているからこそ、ヘアスタイルは「刹那的な美」だと僕は感じるのかもしれません。
だから、切ったその時は良くても、また明日にはもっといいヘアスタイルが作れる。と思って考えているし、その人の髪を切らせてもらうことで、僕はその人のことをより知れるわけなので、次には更により良いヘアスタイルが出来るはずなんです。
一つ思いを断ち切ればまた新たな思いが生まれるように、今度はその人のその思いの上に成り立つ美しさをヘアスタイルを通して表現したい。
だから例えその日にどんなにいいヘアスタイルが作れたとしても、次の日には満足出来ていないし、その中には次回までにもっといいヘアスタイルが作れるようになっておこうという、美容師として人として成長して次回会いたいという思いも含まれています。
そんな、人も世間も常に変化し続ける中で、お客様と二人でその瞬間に最高の「美」を作ることに僕は魅力を感じて美容師をしているのかもしれないですね。
それが普遍的で変わらないものではなく刹那的で常に変化するものだからこそ、「美」を追求するこの仕事は終わりのない仕事だし、「今」が一番美しくあるためにそれを求めて僕のところに来てくださる方に「来てよかった」と思われるような仕事を心がけて過ごしていきたいですね。
だいぶ語りましたが、ほとんどは願望です。そうなれるように日々精進します!
それでは。
岡田彰大


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