先日、ブログにて今月で今のお店の退社を報告させていただきました。美容師のオカダです。
僕の退社について、各方面から様々な意見をいただきました。応援のメッセージも沢山頂きましたし、中にはお叱りの言葉であったり、美容師の仲間にはありがたい事にサロンに誘って頂いたりと、
今回皆さまに頂いた言葉や全ての方の考えやアドバイスを実行に移せるわけではないけれど、自分の中にしっかり刻んでおきたいと思ってますし、
わざわざ時間を割いて僕に色んな言葉をかけていただけることを本当にありがたく思ってます。本当に感謝しています。
生きていくうえでの僕の考え方
最初に言っておくと、この考え方は日本に生きている人にとって、(僕にとっても)ある意味「自己中心的」かも知れないし、あまり聞こえは良くないかも知れないけれど、僕は生きていくうえで自分の中で大切にしている考え方というものがあります。
そしてそれは、人生の中での節目節目の時期や、何か落ち込む様な事があった時に自分に言い聞かせてます。そう、今この瞬間にもその事を考えながら書いてます。
「年齢や権威に関わらず、自分の主張は述べる」
という僕の性格的なものが仇となって、周囲との調和を乱した部分も多々あるかも知れませんが、基本的にはこの考えで生きているという事をこれを機会にここに記しておこうかなと思います。
あくまでこれは今の自分の考えであって今後変わっていくものだと思いますし、それが全てだとは思っていません。意見も聞き分けの出来る人間だと思ってます。
一種の開き直りに映るかもしれませんが、以下続きます。
他人に迷惑をかけないで生きていくことは僕には出来ない。
僕は日本で生まれ育ってこれまで生きてきました。
僕には妹が2人いて、4月生まれということもあり、保育園や小学校等の学級では月次での成長が早い方だったで、リーダー的な、学級委員等を任される事もありました。自分で言いますが、子供の頃はこう見えても優等生だった気がします。
あの頃のオカダはいつからこんな風になっちゃったんでしょう・・・まぁそんなことはどうだっていいのですが
当時、朝のホームルームではその日一日の目標というものを、クラスメートが日替わりで決めていました。が、その頃から僕には少し違和感を覚える「目標」というのがありました。
「他人に迷惑をかけない」
という目標。それこそが僕が今でも疑問に思っているというか、ちょっと考え方の違いというか腑に落ちない部分といいますか、、、
とにかく僕の考えを話します。
僕は他人に迷惑をかけないということは、一生無理だと思っています。死んでも葬式やらなんやらで迷惑かけまくると思います。
たぶん、自分が生きていることだけで、他人に迷惑をかけているんじゃないかなと。(悲観的になっているわけではありません)
「何が迷惑で何が迷惑じゃないか」というのは今回の論点ではないのでそれについては詳しくは触れませんが、多分「他人に迷惑をかけないで生きている人」って居ないんじゃないかなと。僕はそう思ってるんですよね。
だからこそクラスルームで「迷惑をかけないように生きる」というのが目標になるのかもしれませんが、僕はずっと自分の中で引っかかっていました。
そして、一日の終わりのホームルームでは、担任の先生に
「今日の目標を守れた人ー?」
「はーい!」
と元気に手を挙げるクラスメートを横目に、オカダ少年が自信を持って手を挙げられたことは多分一度もなかったと思います。僕が変なのかなと本気で悩んだときもありましたが、今では悩むことはありませんし、ひとつの人生の中での「芯」となる部分が今の自分にはあります。
お前は生きてるだけで他人に迷惑をかけてるんだから、その分他人を許せる人になれ。
これは僕が世界を旅している中で出会った言葉です。この考えがストンと自分の中におちました。
一緒に旅した外国人の方が言ってました。
「日本人はなぜか皆「いい人」になりたがる。だから皆「いい人」だけど「自分」とか「個性」がないよね。」
ズバズバ言うよね。お酒入ってたからね。しょうがないよね。
多分、僕の思想はこの思想の方がしっくり来るんだと思います。日本にずっといたら気付かなかったかもしれません。客観的に見るということは大事なことです。
「他人に迷惑をかけないように生きていけ」
という生き方を否定するつもりもないし、真っ当な考え方だと思います。
日本で僕のような教育を受けてきた人たちにとってはこの考え方が一種の「ルール」であって、「当たり前」なのかもしれません。「迷惑をかける」ということは悪である。という信仰。
「他人様に迷惑をかけるな」というのは間違ってはいないと思いますが、そんな「他人の迷惑」という自分以外の他人の価値観に身を委ねられた生き方に萎縮させられてしまう人も中にはいるんじゃないですかね。(「セクハラ」「パワハラ」「モラハラ」・・・それらを擁護しているつもりはありませんのでその辺は言わずもがな)
僕は他人に迷惑をかけてしまう分、他人を許せる「人としての器」を育てていこうと思って生きています。他人を許せる、心を育てていくということです。
だから、僕は怒らないし、多分怒ったことを見たことのある人って少ないんじゃないかな。(若かったころは置いといて)
「愛」の対義語は「無関心」だといいます。
「愛とは許すこと」だとある人はいいます。
何が正解か何が間違いかなんてなくて、自分が何を選択して生きていくか。それだけな気がします。そして、僕はそれを選択して生きていきます。良し悪しも正解不正解もなくて、ただ、それだけのことです。
今後も悪びれず迷惑かけますがよろしくお願いします。
なので、僕は周囲の人たちにこれからも迷惑をかけ続けて生きていくと思います。そして、それを悪びれもせずに生きていくと思います。でも、その分他人の事を許せる器の大きな人間になります。その分他人を助けることで返していくつもりです。
自分が迷惑をかけた分だけ、ちゃんと恩返ししようと思って生きてます。
なので、今後も迷惑をかけるだろうそんな僕を許して下さい。迷惑かけたその分だけ、しっかり恩を返します。
ビッグダディ風に言うと、「俺はこういう人間」なのです。
どうぞご理解下さいませ。
そして、これからもよろしくお願いします。
オカダ アキヒロ


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